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ひと昔前は ブラックなんて当たり前 [持論・ひと言]

NHKの「深読み」を見ていて思ったこと


ブラックバイトの悲惨な状況と打開策などを紹介されていましたが・・・

ブラック企業の社員やバイトなんて 給料出るだけマシじゃん って思ったのは私だけ?


番組内のコメンテーターが 「学生なのに学生気分で居るな!とか言うのはオカシイでしょ」とか 「正社員に比べて安い賃金で体よく扱われている」とか言われてますが 反論します


学生だから学生らしく扱えというのは 雇用主側から見れば権利だけ主張して義務を果たさない国会議員と何ら変わりがない役立たずと同義であると

会社や企業として成り立つためにはなるべく支出を抑えて利益を上げねばならない

これは経営の大原則でありこれ以上でも以下でもない

本来正社員として雇用できる社会であれば その主張は正しいのかもしれないが いかに安倍首相が経済が活性化してきたと口で言ってはいても 現実として一部の大企業以外は未だに苦しい経営をしている所が多い

もちろん 経営の理由に人件費を削減してもいいということでは決してないが 会社が会社として成り立たねば そこで働く労働需要も成り立たなくなってしまう

ブラックと一言で論ずるのは簡単だが そういう状態にしてしまったのも過去の社会の流れの所為も多分にあると思う

そんな状況で 一言では言い表せない難しい所にわざわざ応募して 職を手にしたのは選んだバイトの責任でもある(企業側が是非にとお願いしてバイトを乞うたのであれば別だが)



いまどき 最低賃金以上に金額を設定し ビックリするほどの高給を提示して人手を集めようとしているお店とかも珍しくなく 時給換算するというにサラリーマンより高給取りなバイトもある中 正社員だからとかバイトだからとかで給料の低さを嘆くのは その立場に居たことがないからだと思う

かくいう私も ある企業の正社員をやっている訳ですが 仕事に見合った時給(給与を拘束時間で割ったもの)を貰っているとは言い難く あの有名牛丼チェーン店が時給1500円以上とかで騒いでいた頃は 本気でバイトに転職を考えていたこともありました

ありました と過去形で言っても給与が上がった訳ではなく 単に諦めただけですがw


なので上記のようなコメンテーターの短慮な発言にはイライラっときました


更に言えば

我が熊本県には 中学生に対して各企業や店舗に数日間職場体験学習する「ナイス・トライ」というイベントがあります

実は最近知ったのですが これって全国で実施してると思っていましたが 熊本県教育委員会で実施しているため 県内の中学でしか行われていないみたいなんですね
http://kyouiku.higo.ed.jp/page/pub/default.phtml?p_id=1159

で このナイストライ どこが辺がナイスなのかというと 数名づつの学生が希望する企業や店舗の職場に直接出入りし 仕事とは何か? 働くとはどういうものか? 気になっていた会社内の実状は? などを見て聞いて体験するという 無料で出来るキッザニアみたいなもの?なのですが 学生にとっても有益であり会社側としても将来の人材募集の芽とも思えるのですが 現実は違います


中には実際に会社の仕事を体験して その理想と夢を手に入れられる会社もあるとは思いますが 実際の現場では掃除や草むしりなどの雑用の毎日ばかり

正に給与の要らないブラックバイト状態!

なのに それでいて体験学習後には「先日はありがとうございました」などとお礼のお手紙を貰えたりする始末

それを読むたびに本当に気が引けてしまうんですよ 実際・・・



この体験制度って実質どの程度学生のために成っているか 教育委員会は考査した方が良いと思う


そんな訳で 今回の深読みの内容については 確かにそういう職場や上司も居るけど 学生主体でバイトを語るな!と言いたかった訳です



人付き合いや馴れ合い 人間関係とかもあるのだろうけど 学生が学業に支障が出る位なら 企業を攻めずに仕事を止めて勉強しろっ!! ってことですね


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LGBT容認に傾く世界の行く末は [持論・ひと言]

同性婚、全米で容認
時事通信 6月27日(土)9時57分配信
米連邦最高裁判所は26日、同性婚を禁止した州法を違憲とする判決を言い渡した。
州ごとに是非が異なっていた同性婚は、憲法上の権利として全米50州で認められる。写真は裁判所前に集まった同性婚の支持者ら。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150627-00000012-jijp-int.view-000


個人の主張や意見が世間や世界に認められる

このことについては大変素晴らしい事だとは思います  が・・・



あくまで私一個人の意見と前置きしますけど

少子化や高齢世代拡大による財政ねん出の難しさを叫ばれる現代 子供を産むということが完全に出来ないカップルの増殖は その危惧とは全く逆行するものであり さらに言えば 声高に自慢するものでも無いとも思います


今まで世間体や他人の視線などに抑圧されたり 卑下されてきた人々がようやく認知を受け 一般人と同じ扱いを受けることができるというだけで さして特別な事でもありません
(当人たちにとっては それは最高の出来事なのでしょうけど)


例え国や自治体が容認しても それで全ての差別が無くなる訳でもありません

容認されたことを盾にしても 自らが性不一致を受け入れられないのと同じぐらい その違和感を受け入れない人々が存在することも確かだし 強制もできないのですから


LGBTというキャッチフレーズが先行した感のある現在の潮流は いわば流行やブームといった一過性のもので終わらせることなく 世間の中で個人を確率するための手段なのだということを言い続けない限り マスコミ次第ですぐ下火になるのは明白なので 関係者の方々の引き続き努力は不可欠だと思います




まぁ ぶっちゃけ


(自称)無類の女好きである私には ちょっとしか理解できない世界であることは間違いないですが・・・
(同性でも尊敬する・敬愛するという立場があることは知っているくらいだから)


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スマホ依存ではなくスマホ中毒 [持論・ひと言]

今現在放送中の NHKのアサイチでの特集「つながらない生き方」について

SNSやスマホでの自称”友だち”との交流にしか自信を持てず 常に情報のやり取りをしていないと不安になる人々

番組内では その具体例とも言える重度の患者(といっていいと思う)が取材されています



いやもうこれって末期症状じゃん
改善の余地が見当たらない

でもその気持ちなどを聞いていると 単に交流関係による症状というより その人の見栄っぱり度が極端に高いだけのような気もします


つながる」のではなく「褒めて欲しい」というのが一番の原因ではないかと思います


周りの家族などから 十分な愛情や褒め言葉が日ごろからあれば そういう事に費やす時間や手間も掛ける必要もないし また掛けられないのかもと思います


小・中・高校生の子供ならまだしも 保護者が というかいい大人がスマホ中毒になってちゃ 自分の子供に対してしつけすることも出来ないから 今の世の中のようになってしまうのかな・・・


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おかしなおかしな国 日本 [持論・ひと言]

熊本・人吉の女子高生殺害、被告に懲役18年
読売新聞 6月12日(金)15時24分配信
熊本県人吉市で昨年5月、高校3年の女子生徒(当時17歳)を殺害したとして、殺人罪などに問われた赤石弥(わたる)被告(48)の裁判員裁判の判決が12日、熊本地裁であり、溝国禎久裁判長は懲役18年(求刑・懲役23年)を言い渡した。
 溝国裁判長は「非常に悪質な犯行で、動機は身勝手極まりない」と述べた。
 判決によると、赤石被告は昨年5月4日午後0時15分頃、同市の高塚山で、生徒の首を背後からロープで絞めて窒息死させた。
 公判で、検察側は「事前にレンタカーやロープを用意するなど計画性があり、完全に責任能力はあった」と主張。一方、弁護側は「慢性的な適応障害で、犯行時は善悪を判断する能力が著しく低下しており、刑事責任能力は限定的だ」と反論し、被告の責任能力が争点となっていた。
 判決は、動機について「自殺願望があった被告が、好意を寄せていた生徒を殺害すれば、絶望して自殺できると考えた」と認定。そのうえで、動機には障害の影響が一定程度あったとしたものの、「遺体をシートで覆って犯行を隠そうとするなどしており、完全責任能力があった」と結論づけた。
 判決を受け、刑事裁判に伴う損害賠償命令制度に基づき、遺族が被告に約1億円の賠償を求めた申し立てについても審理を行い、地裁は請求通りの支払いを命じる決定を出した。
 生徒の父親は判決後、「懲役18年は軽すぎる。ただ、どんな刑が出たとしても、娘は帰ってきません」とのコメントを出した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150612-00050104-yom-soci


兎角 この日本の裁判制度(または判決)は不思議過ぎる


本来は犯した罪に対する裁量を量るものが裁判の本質と思うのですが ことこの日本においては罪人本人の存在についてを推し量ることが主体になっています

どんな凶悪で醜悪な事件を起こしても 生活環境や生い立ちなどでの情状酌量や ホントかどうかも分からない心神耗弱などの「罪」に対して何ら関係のない理由で減刑されたり執行猶予がついたり

その挙句 再犯したらしたで本来被害者にならずに済んだ人を量産する
呆れてしまいます


情状酌量の余地というのは 正当防衛など他者から見てどうしても加害や犯罪をせずには要られなかった場合にのみ適用されるべきで 自分本位で好き勝手した上犯した罪については論じられるべきものではないと思います


更に 最近の傾向である「逮捕されたらまず精神鑑定を」という流れそのものに大いに疑問を感じます

どんな人であれ殺人や傷害を犯した人種は 精神が正常なはずがありません
例え人格障害(多重人格とか)であっても その人がしたことに違いはありません


ついでに言えば 青少年の犯罪極悪化に対する裁判所の認識自体が時代遅れと言わざるを得ないのかもしれません

年齢がいくつであっても自分のしたことには自分で責任を取らせる

もし弱年齢者にそこまでさせるのに抵抗があるという人が居るのなら それならその保護者が代わって罪を償ってもらう(その結果被告本人の生活に支障が出ても それが負った責任として受け入れてもらう)

そうして初めて被害者本人や遺族に対する贖罪となりうるのだと思います



もちろん 裁判所や検察側だけの話しではなく 弁護士側も同様に考え直さないといけないと思います

無闇に無罪を勝ち取れば良い 刑を予想通りに減刑できれば御の字 という成績主義の一種偏差値競争のようなものを理想とせず 犯した罪に対して重すぎるのか軽いのかを弁護士自身の裁量に測って 求刑に対するものとする
(その為には偽証を防ぐべく警察や検察内部での完全可視化も必須です 単に可視化すべきと声を上げているえせ弁護士とは違う理由です)

決して揚げ足取りやねつ造まがいの屁理屈理論を武器とせず 真摯に裁判に挑む

そうしてこそ遺族や世間が疑問に思うことのない弁護が出来るのではないでしょうか?



ニュース記事を参照の上でなんですが カテゴリーを「ニュース」ではなく「持論・ひと言」にしたのはこういう訳です


人権保護は確かに必要なことですし 万が一にも冤罪があってはなりません

ただそれは 被害者や遺族に対しても同様に存在する以上 加害者を過保護にする理由になってはいけないと思います


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起こした事を裁くのか 経緯を裁くのか [持論・ひと言]

やはり書かねばなるまい


アクセル「べた踏み」で突入=駅前暴走の大野木容疑者―愛知県警
時事通信 2月24日(月)21時14分配信
 名古屋市中村区のJR名古屋駅近くの歩道で乗用車が13人をはね、重軽傷を負わせた無差別殺人未遂事件で、逮捕された大野木亮太容疑者(30)が、アクセルを強く踏み込んだ「べた踏み」の状態で突入したと話していることが24日、愛知県警への取材で分かった。県警中村署捜査本部は、同容疑者に強い殺意があったとみて裏付けを進める。
 捜査本部は同日、大野木容疑者宅を捜索した。
 捜査本部によると、同容疑者は歩道に乗り上げる前後の状況について、「ブレーキを踏んだ覚えはない。突っ込むときはアクセルをべた踏みした」と供述。目撃者らは時速30~40キロ出ていたと話しているという。  車が街路樹に衝突した手前にはタイヤ痕が残っており、捜査本部は供述や目撃証言から、ブレーキの跡ではなく、加速した際に残った跡とみて調べている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140224-00000171-jij-soci



名古屋駅近くの路上で起こった自動車暴走による無差別殺人(未遂)事件について


どんな理由があるにせよ どんなに不幸があるにせよ 他者に(特に故意に)被害を加えていい訳はない

こうなったらもう 弁護士とかがお得意の「精神鑑定」、「家庭環境や社会の所為」などと言わないうちに とっとと死刑判決でも出してしまったほうが 世のため人(容疑者本人)のためかもしれない


殺人未遂で誰も殺していないのに死刑?

なんて甘い考えは 更正どころか次の再犯の可能性をいたずらに引き上げるだけなのではないでしょうか


決して「死刑」賛成派でもないのですが ことここに至っては「どうやったら更正するか」を考えるのは無駄のような気がします

万一 刑が軽く済み 数年から数十年後に社会に出てきたときに 今以上の逆恨みを世間に対して行使したときの責任は いったい誰が負うのでしょう


日本に於いて 今や死刑というのは無期懲役と同様の扱いにまでなっていますが 実にナンセンスです


もし冤罪での死刑確定だったら・・・ などと要らぬ心配をするより そうならない為の事前の詳細な調査と検討が必要なのは間違いないですが 犯罪を犯した者がその自覚を持って供述しているのであれば 途中の心変わりなどに惑わされず 刑を決定・執行することを躊躇ってはいけないと思います


そのために強大な権利を与えられている裁判官なのだから


ただし・・・


(別件ですが)
無免許運転の上 多数の死傷者を出したのに 運転技術があるから殺人どころか危険運転致死傷罪さえ適用しないなんて判決を出す裁判官なんて要らんわ



最後に

人は誰だって過ちを犯すものです

しかしそれと同時に 良心や自制に従い 踏みとどまれる生き物です

また反省や後悔のうえ 更正していける生き物です

それすら出来ないのであれば 人としての寛容は不要と思います

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メダルを噛むな・・・ 何がいけないの? [持論・ひと言]

昨日のテーマ「本当にそこまで言っていいんかい」・・・ 見てました

実はニュースの見出しでは「メダルを噛むな」問題を見て知ってはいたものの 中身までは知りませんでしたので 今回改めて見直しました


結論から言ってしまえば 「大きなお世話」ということですね

選手自らの精進と努力と運とその他の結果で得たメダルに対して キスしようが噛もうが(もちろん紛失や転売などは論外ですが)本人の自由だと思いますから


天皇家の血筋だかJOC会長の息子だか歌手の婚約者だか知りませんが 貴方に(選手たちに対して)そんな強制的発言をする資格も権利も無いと思います
(もちろん日本は 発言者に対してとても便利な”表現の自由”が約束された国ですから 何を言おうが構いませんが)


年間数百万から数千万という出費を自腹や一般企業からの支援金で賄い やっとの思いで掴んだオリンピックへの道なのに 五輪開催地までの旅費(のみ)を出すのだから国のために頑張れ!

その上 万一メダルの一つも取れなかったら 悔しい気持ちを封じてでも笑顔を見せているのに 楽しむなというのは ホント聞いてて「何様だ!!」と思います
(明治天皇の玄孫様だ なんて言ったら張り倒します)


誤解がある。ツイッターは文字数が限られていて、言葉足らずなものがある」と言い訳をしていますが そもそもツイッターの文字数制限なんてサービス開始当時からのもので当人も分かった上で使っているのでしょうから 言葉足らずと理解しているのなら 発言するべきではないことだと思います

なので誤解でもなんでもなく 故意に煽ったと見るのが妥当でしょう


そもそも 法学者で大学講師という肩書きの分際で 自分の発言(行為)の重みが自覚できないというのは論者として失格と言えないでしょうか

自身が言うように「見るに堪えないようなコメントを吐いた若者がいたんです」とは 正に自分自身のことだという自覚を持たないといけません


それと 皇室のことや法律のことに限らず 世間一般の事象に関して幅広く造詣を発言していますが 「そこまで言って委員会」内での現在の立ち位置は 昔の「勝谷」氏となんら変わらないキャラクターのような気がします

今のまま持論に偏った発言ばかりしていると そのうち また勝谷氏同様 ぷいっと出演できなくなる日が来るのも無きにしもあらずかもしれません・・・



p.s. 同番組内で竹田氏の発言の擁護ともとれる発言をした津川雅彦氏について
「(五輪競技に)勝ったらご褒美だからビジネスクラス(で帰国してもいいけど) 負けたら罰だからエコノミーで・・」と言ってたが 罰って何?

競技でメダルを取れなかったらからといって罰を与えるなんていったい誰がどんな権限で何の罪を被せるつもり?
それこそ何様だ という感じだ

同氏は同番組のご意見番的立場だった故三宅久之氏の代役として出演し始めた訳だが その立場上としては力不足どころか不適格としか言わざるを得ない

口を開ければ日教組が悪いのひとつ覚え

その他はおしなべて自分の知ってる範囲内のことをさも常識と勘違いしているような非常識さ
その上 他人の話しは聞く耳持たず 自分の考えを押し付ける ホントに始末に負えない・・・

司会の山本浩之氏も扱いに困ったように無理やり進行しているように見受けることも多い

正直 同じ年代の人で良いのなら林家木久扇師匠の方が余程良いかもしれない



ま どうでもいいけど

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途中経過 [持論・ひと言]

元旦からなんとか毎日今日まで(3週間)続けられた・・・

途中記事としては厳しいものもありましたがw

また一年を通して 皆勤出来たら良いな♪

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自衛隊法改正について [持論・ひと言]

Yahoo!ニュースの意識調査で「自衛隊法を改正したほうがいい?」という問いかけ(調査期間2月1日まで)がありましたので ”改正したほうがいい”に1票入れました

投票した時点での結果は
自衛隊法改正.JPG

となっています

投票者全体の8割以上がやはり改正に賛成のようです

更には各投票者のコメントも掲載されていますが 読んでみると時流やその場の雰囲気に添っただけで 割と「何故改正しなければならないのか?」という部分が曖昧なのが見て取れます


私個人の意見として一番の要因は 「現在の自衛隊法では 救出や警護をするにしても 現地の安全が確認されなければ派遣さえ決定できない」ということがあること

銃などの装備を持ち特殊な訓練を受けた自衛隊員が 安全確認しなければ出(国)られないというのは本当にナンセンスです

非常時だからこそそういう特殊な部隊が必要だというのにです

そんなことなら民間企業が救出(セイバー)業を営む方がまだマシだと思うからです


もしそれが改正できないというのなら 危険指定国への個人的渡航や企業の海外進出を政府自身が規制すべきなのではないかと思います

「利益のため」という名目より人命が大切であり たった一人危害を加えられる可能性があるだけで途方も無い不利益が発生するということが なおさら今回の事件でもよく分かったはずなのですから

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思いやり=経済拡大 [持論・ひと言]



ヒッグスだかピッグスだか知りませんが まだ確定もしていない事で世界の一大事かのようによく大騒ぎできるものです・・・

記憶に新しい 「ニュートリノ」の実験だって すわ直ぐにでもタイムトラベルやワープの実現化も話しが飛んでしまった結果 ”やっぱり光より速い物質はありませんでした”という以前からある定説を証明するだけに至り 壮大な労力と膨大な費用を喪失してしまっただけに終わり一ゴシップ記事並みの馬鹿騒ぎになってしまった経験が何ら生かされていないように思えます


仮に 今回の実験でその存在が証明され 確定された事実になったとしても 生活や社会環境・開発にそれを生かす(有効性を見つける)ことができなければ 素材のひとつとしての価値しか無くなります



かつて 日本が戦後敗戦の焼け野原の状態から今日の経済発展を為しえたのには 勿論他国からの援助なしには有り得ず その上 復活してみせようという日本人の意思(底力)も不可欠ではあったと思います

なけなしの材料や資産で他国との競争に打ち勝つのは 並大抵の努力では果たすことが出来ません

メイドインジャパン」という 今となっては過去の栄光とすら呼べるものを引きずるのではなく もう一度モノづくりの原点である 「使い易さ」と「革新性」を併せ持つ商品開発(こうしたら便利になるのでは こうすれば多くの人に使ってもらえるのでは という日本人本来が持っていた「思いやり」)にこそ 勝敗のカギがあるのだと思います


韓国の他国仕様への柔軟な対応の姿勢や販売・営業努力、 中国や東南アジア諸国の低価格・高生産性に対し いつまでもガラパゴスと揶揄されるような日本独自の使い勝手や品質を追求していても ベータマックスと同じ末路が待っているだけです
(確かに液晶TVやハイブリッドカーなど 他国にない高品質を作る技術は素晴らしいものですし誇りでもありますが 一部の人にしか買えないものを作っていても価格競争の激しいこの世の中では 売れなくて当たり前です)


今はまだ”安かろう悪かろう”で通っている「メイドインシナ」ですが 他国への「思いやり」を商品開発や営業、外交に取り入れてくることが出来たら 大いに他の競争国にとって脅威となるでしょうね


産業復興ということは 資金支援や合併拡大などではなく そういうことなのだろうと思います

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そんなつもりは「素粒子」ございません [持論・ひと言]

何かの言い間違えや お詫びに訂正するときに使う「そんなつもりは毛頭ございません」という言葉

いつ頃出来た言葉なのかは定かではありませんが 人が何かの最小単位として認識できるもので小さかったものの一例として”毛頭(髪の毛の先っぽ)”というものを使ったと思いますので 顕微鏡が開発される以前からあった言葉なのかもしれません

ところで 毛の”頭”っていったいどこなんでしょうね?ww

頭皮の生え際が”根っこ”とすると 延びた先端を指すんでしょうか・・・


いや 何が言いたいのかというとw

そんな昔の話ならいざ知らず 科学が発展し 電子顕微鏡で原子すら肉眼で見れる現代で 「毛頭」は流石に巨大過ぎないか?  な~んて思ってしまったりしたのでした


現代での最小物質として素粒子やクォークという概念が一般的なので この際この記事のタイトル通りに変えてしまったら? とは行き過ぎた話しでしょうか・・・


でも よくよく考えると どんなに小さなもの(物質)に例えてみたところで 0(無)ではないんですよね・・・

それだったら「全く」の方が小さくなくね? ってなことに帰結してしまっちゃったりしまして


何の話しか分かんなくなってまった(;゚д゚)ェ. . . . . . .



シャワー浴びてる最中に ふと思いついたたわいの無いことなので 全く無視して頂いて結構ですw

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