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発言のモラル [ネット]

インターネットが一般社会に普及して早20年 どんなことに利用してますか?


簡単なものはスマホで漢字を検索したり 料理のレシピを確認したり 昔行った海外旅行先の地理をGoogleMap(Earthやストリートヴュー)で見たり

普段の生活から会社の仕事の補助 単純にデータ通信やサーバー運用などにも幅広く利用され 現在の社会には無くてはならないツールとして不動の地位を築いています

確かに便利ではあるし 探している以外の事まで または知らなかった事さえも まるで目の前にモノ言わぬ執事が居るかのごとく親切丁寧に教えてくれます

かくいう私も 普段のブログ記事ネタ探しや上記などの検索ツールとしてPCやスマホから繋がっている訳ですが・・・



「信憑性」

その点について いったいどれだけ雑誌や新聞・ネット上のデータを信用できるのか(していいのか)


言葉(単語)やある一部の出来事(事象)のみを取り上げ 文字通り「定規で測ったような」当たり前の意見を述べ まるで検事か裁判官にでもなった気分で他人を追い詰める

そのくせ 自らが人前に姿を現すことなど無く言いたい放題やった挙句 その責任も取らない


なので当然 ウソやデマカセなども さも本当のことのように拡散してしまう

そして元データが削除されても 一旦発信してしまった情報はネット上から半永久的に消えることは無くなる


だから ホントとウソの境が曖昧なまま 検索データが残ってしまう



中国のような行き過ぎた情報統制や制限は道義上の問題があるとしても 個人で真偽の判断がつかないようなデータは一定の制限や削除の対象となっても 私はいいと思う

ただそれを いったい誰がどのように判断して決定・実行するのか

そこが一番の問題点としていきつくため 今現在まで実際に行われてはいません



例としてもし仮に 「いじめてやる」や「殺す」などの単語を機械的に抽出検索するとすると 本来学校内などでのいじめ問題を対象とするために行われるはずだったのに 全く関係ない出来事も当然ヒットする訳で どんなに検索条件を絞っても本来の目的とは違う動作をしてしまう可能性は消えません

だからといって 人海戦術(そもそも個人の判断が加味される不明瞭な判断基準を含む限界や危険性)も無理がありますし・・・


結局 現状の最良の手段は 個人のモラルによる判断 に尽きます



討論やディスカッションの場や ブログ発信・コメント投稿などで 自分の発言が他人(または自身)を害することはないか

ヒートアップして売り言葉に買い言葉で投げつけるだけの発言にならないか

知識や経験を与えることは決して悪い事ではないが 単なる顕示欲や優位性を保ちたいだけなのではないか


など 投稿ボタン(エンターキー)を押す前に じっくりと考える必要が ネットに繋がる者の責任と言っても良いのではないかと思います

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