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「正義」とは [持論・ひと言]

だいそれたテーマを掲げた理由は 先日の「たかじんのそこまでいって委員会」を見たからですw

番組内では面白おかしく各人の視点・思想から テーマに沿った各内容を正義か否かという判断をされていました

私も”sengoku38”こと一色正春氏は「(心情的には)正しいことをした」がそれは決して「正義ではない」という三宅久之氏に大いに賛成です


世界各地を見れば それぞれの立場 それぞれの信念で「正義」を振りかざしている輩ばかりですが それなら何故 正義の名の基に相互いするのでしょう?

それはやはり 考え方や目的の違いもあるでしょうが その正義の底辺(原初)に「利己主義」が埋まっているからだと思います


よく強力な単一の敵(宇宙人の侵略者など)が現れれば 全人類一丸となって正義の名の基に一致団結するかも という古典的アイデアがありますが そんなもの正義でもなんでもないし 第一本当に団結できるかどうかも怪しいものです
(どうせ少ない安全地帯や食料などで争って やられるより前に自滅するのがオチではないでしょうか)

wikipediaによると
正義(せいぎ、英: justice、独: Gerechtigkeit、仏: justice、羅: jūstitia)とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正ないし衡平にもとづく道徳的な正しさに関する概念である。正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。


とのことですが それこそ一個人の思慮を離れ 宗教や心理学的 哲学的観点から論ずるととんでもないことになってしまうと思います


今現在の私個人としての結論としては

”正義”とは 振りかざしたり圧し付けたり ましてや他人がどうこう判断するものではない
自分自身の心に”そう”と決めた志(こころざし)のこと
※ここでいう志は 思い込みや偏った独断などというフワフワと抽象的なものではなく 他人に対しても理解を深めた上での思慮・信念のことです

と思います(今現在と書いたのは 今後考えが変らないとも限らないからです)
こんなこと書いてる時点で既に 正義論が破綻してるし・・・


真の正義とは 多種多様な人それぞれに その人のための正義が存在し他人には容易に受け入れ難い場合もあるというのが本当で この世に一貫した正義は存在しないという 一種破綻的な考えがもっとも一番しっくりくるのは 致し方ないのでしょうか・・・
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退屈は死よりも苦しい・・・か? [持論・ひと言]

いつも読ませて頂いてる NONNONオヤジさんのブログ「カフェ・オ・レでも飲みながら・・・-気まぐれ日記帳-」の先日の記事「早くお迎えが来ないかなあ……(笑)。」を読んでて浮かびました


かなり前の話ですが福岡市に住んでた頃 コンビニの女性店員にちょっかい出してたチンピラにガン飛ばしてたら(その頃は結構地味に尖がってたんですw) 予想通り絡みまくって来ました

喧嘩して去り際に「お前なんか世間の中で何の役にも立たないんだよ」的な捨て台詞を吐かれたのが その後ずっと頭に残っていて それまで「人の役に立つ」ということはどんなことか真剣に考えたことが無かったので 喧嘩相手から言われたことが 真剣に頭にこびり付いたのでしょうね

もともと 小4の頃に「死」というものを考え込んで 泣き暮らししたことがあり 以降楽天的な性格になったため それからというもの それまで以上に”思いやり”だとか”価値を高める”だとか 更には”クヨクヨしない”なんてことも考えが膨らんだような気がします


だから 現状日々の生活がどんなに退屈でも 悲惨でも 将来の不安があってさえも 向き合い(付き合い)生きていけてるのだと思います

そこに家族や知人・友人 他人が関わってくると 尚更 死が遠ざかるのではないでしょうか



p.s. NONNONオヤジさん まるごと文章を借りたのではなく文面から思いついた記事のため 同じ文章ではないし もしかしたら全く違う考えかもしれません
すみませんです(´Д`;)ヾ
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気付き [持論・ひと言]

小春日和というか 日陰でも肌寒くなくなりつつある今日 いつものように弁当箱ぶらさげて会社の駐車場から事務所に向かっているとき と思いました

今手にしているお弁当 これは紛れもなく家族の味ですが いつか必ずこの味が食べられなくなる日が来る

今までは 日常的に普遍と思っていたけど 事故や事件、災害などいくらでも突発的なことが起こる可能性がある昨今 これを食べれるというのも ひとつの幸せに違いないのだなと・・・


今回 多くの犠牲者を出した震災に限らず 日々不幸な事故や事件などで いつまでも変らぬ明日が自動的に訪れると思っていたであろう人達も 一瞬にしてそれまでのような生活ができなくなってしまうという恐ろしさに 改めて気が付きました


今現在の幸せを悟り 日々の人生をより良いものにするためも まず「気付く」ということが如何に重要なのかと思い知らされた気がします



でも なんでいきなりこんなこと考えたんだろう・・・・Σ(゜д゜|||)?

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最近よく思うこと [持論・ひと言]

震災後 まだまだ余震が続いてはおりますが 被災地への支援の輪は現地ボランティアを超え 日本中のみならず 世界中にも波及していってます

中には純粋な支援の思惑以外に 商業取引や経済的視点などもあるのかもしれませんが 被災者や被災地へ手を差し伸べるということに変わりなく 生活基盤(自宅や勤務先など)を失った方々への物的・精神的支援となっているのは間違いありません

災害自体は本当に文字通り「災難」でしたが 世界中(の一部でも)が「相手のことを思いやり」「無償で救済の行動をする」という流れになったことは大変良いことだと思います

実際に被害に遭われた方々のことを思えば不謹慎かもしれませんが 正直そう思ってしまいました


震災前までの一見平和だった時代 殺人や強盗 他国への侵略や武力衝突など とても平和とは言いがたい世界でしたが 今現在はそういったことを聞くことが少なくなった気がします
(もちろん 大きなニュースに隠れてしまっているだけなのかもしれませんが)



願わくば いつの日か無事東北が復興を遂げ 笑って過ごせる毎日が訪れる日が来たときに 現在のような「相手を思いやることが出来る」世界のままであって欲しいと思います
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「死」について [持論・ひと言]

エジプトの政権退陣要求のため反政府デモが日々激化し死傷者の数も相当あがっています

また昨日日曜に東京ドームシティアトラクションズの「スピニングコースター舞姫」で起こった過失致死事故 楽しみに来ていたはずが当事者は勿論 その場に居合わせた方々も悲惨な休日となりました


世の中には 病気などで寿命を自ら知っている方を除き 明日も平凡な一日が待っていると思っている(元々そういう事も考えない方も多いと思います 私もそうですが)方が殆どではないかと思います

そんな中 世情の動向や 不慮の事故で命を瞬間的に落としてしまうのは なんとも想像し難いです


なので 自ら死を選んだり(自殺) 他人を殺害したり(他殺)など避けられるべくして避けることのできる”死”というものは そこにどんな意味があろうとも肯定されることは出来ません


もし万一仮にどうしても 生より死を選ぶしかない状況があったとしても 最後(寿命をまっとうする)まで足掻き もがき 考えなければいけません

それを放棄するのは 確かに簡単で楽ではありますが 親兄弟などの家族 親類や親友 知り合いなど全てからの「逃げ」に過ぎません

その上 ”思考する”という何者にも共有で誰にでも備わっている”贅沢さ”を失くしてしまうという なんとも「もったいない」行為です


快楽殺人や愉快犯殺人などが横行している世の中だからこそ 今一度「死について」を考える余裕を持ちたいですね



自分の為に生きれないなら 他人の為になることを考えたい

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Q・O・L について [持論・ひと言]

先日書いた「医龍3」の話しですが 原作とTVドラマの中でよく使われる「QOL(クオリティー オブ ライフ)」について思うことを書いてみます

直訳すると そのまま「人生の品質」ですが 医療用語として用いるときは 患者に対するより最善の手段での治療法 及びその人にとって何が大切なのか 何が幸せと考えられるのかということになります

医療に携わるものであれば 多かれ少なかれその主旨、主義はあって当たり前と思われます


ただ 他人に推測・推量される”幸せ”というものより 個人自身がどういう人生を送りたいと思っているのか 何をもって幸せなのかと考えるのが 本当のQOLと思います

そのため日々の生き方 生き様が大切になってきます

真のQOLを目指すなら MOL(マスター オブ ライフ:人生の達人)を目指さなければなりません


毎日の忙しさに流され 生き方や将来の理想も持てない昨今 せめて病気や怪我で入院し医者に推し量られる前に自らQOLの設定を考える余裕を持つことをしていきたいですね


http://qol.jp/
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「死」は始まりや終わりではなく 世間との繋がりを再確認する瞬間だ [持論・ひと言]

人の死とはそれが老衰でも また事故や病気などの突然であっても 訪れるものです

ただよく言われるように それは決して平等にやってくるものではありません

亡くなる人自身にとっては 遅いか早いかだけの違いではありますが 残された者にとっては 故人の思い・遺品・感情や記憶などの他に事後処理や遺産(または負債)の相続 故人以外に知らない約束事の発覚など多種多様であり それが負担になることもしばしば起こります


今回の元ネタは
tamanossimoさんのブログ「そっ、そんな~!!  あんまりですわ」
悲しくて・・・おかしくて・・・
http://piapianissimo.blog.so-net.ne.jp/2010-04-18
から思いついたものですが やはり人間「立つ鳥跡を濁さず」という意識を大事にして 日頃からの生活や身の回りを綺麗にしておかなければならないと思います


人の一生は一瞬なれど 他者への影響は続いていく

その人がどんな人生を送りどう生きていくかは本人次第だし 死ぬまでに起こしてきた事象はそこまでなのですが その人に影響された他者 またはその人が”居た”ということは 無人島で一人で生きていくようなシュチュエーションでも無い限り 少なからず残ります

前述した物的遺産(金品含む)以外にもその「意思」というものが残ると分かっている限り どんな生き方をしていくかが一番大事なのではないでしょうか?


武士道で死に様を追求するとよく言われますが ある意味理解できますが共感は持てません
死に様より 死後に他者へどう響くかを熟慮しなければならないからです

名も無い一人でこの世を終えたとしても その人が存在したということは必ず他者となんらかのコミュニケーションをとっているのだから


決して世間を一人で生きているのではなく ”人類”という糸で繋がっているのだと思ってください
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また 懲りずに・・・ [持論・ひと言]

「徒労は決してムダではない 貴重な経験と反省点を見つけられるから」

今日の仕事をしていてつくづく思いました
本当はしなくてもいいことでした
結局 結果にも繋がらず 成果も出せませんでした
残ったのは疲労とやるせなさと無駄な時間の浪費のみ・・・

まさに「徒労」の代名詞のようでした

でも お陰で日頃見えない所の掃除が出来た 次にやるときのやり易い手順を考えることが出来る もっと早く綺麗に仕事ができる

経験とは総じてそういうものなのだが 今回はたまたま結果を出せなかったが だからといって徒労の一言で済ませずにすむ

日本語として「徒労」という言葉はあるが その意味は無駄では無いということを感じた一日でした
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人生という名の道 [持論・ひと言]

また新たなカテゴリーを作ってしまいました

今週の「深いい話し」で島田紳助の次女の一言が一番”深いい”と思いました

「勉強は人生の選択肢を広げる為にやるもの」


別に教育のためだとか 誰かに指導を なんてだいそれたことでもないんですが 感銘を受けた(触発された)のでちょっと発言してみたいな~と思ったからですw


「未来を作るのはその手のひら 向かう先はその足で」

頭で考えて選び抜いた先が自分にとって または他人にとって真に幸せな未来なのかは 実際に未来の時間が訪れるまで分からない
今をしっかり生きていないものに 理想はおろか夢や希望通りの将来なぞ来る可能性は限りなく低い
その可能性を高める為に まずは立ち向かう勇気と 進める努力を培うこと
それでも例え思っていたものとは違うとしても 楽しめる心の余裕を持つことが人生をより明るくする
もし一人でどうしようもない時は 他人に助けを求める勇気を出して手を伸ばそう
それができる人なら 困っている他人に手を貸すやさしさは備わっているから


これから気が向いたとき(思いついたとき)に不定期で掲載しようと思います
(なんで今頃こんなこと思いついたのかは また後日に・・・)
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