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6年前の大惨事の結末 [ニュース]

社長が責任とらなきゃ いったい誰が責任とるのか

JR西前社長に無罪=予見可能性否定「過失ない」―福知山線脱線事故・神戸地裁
時事通信 1月11日(水)10時6分配信
 兵庫県尼崎市で2005年4月、JR史上最悪となる乗客106人の犠牲者を出した福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長山崎正夫被告(68)の判決が11日、神戸地裁であった。岡田信裁判長は「事故の予見可能性は認められず、過失はなかった」として、無罪(求刑禁錮3年)を言い渡した。
 1996年にカーブの半径を600メートルから304メートルにする工事をした際、安全対策責任者の鉄道本部長だった山崎被告が、事故の危険性を予見し、脱線防止のため自動列車停止装置(ATS)を設置する義務を負っていたかが主な争点だった。
 岡田裁判長は、96年当時、カーブにATS整備を義務付ける法令の規定がなく、鉄道業界でも危険性を個別に判別し脱線防止のための整備はしていなかったと指摘。「同程度のカーブはかなりの数あり、被告が速度超過による脱線転覆の危険性を容易に認識できたとは認められない」とした。
 その上で、速度超過がいつか起こり得るという程度で予測できれば事故の予見可能性はあるとした検察側の主張について「危惧感と大差なく、予見可能性の程度は相当低い」と認定。「現場カーブに個別にATS整備を指示する措置を取らなかったことは、鉄道の安全対策責任者の行動基準から逸脱していない」と述べ、事故を回避する義務の前提となる予見可能性は認められず、注意義務違反はなかったと結論付けた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120111-00000030-jij-soci

近年稀に見る鉄道大惨事となった事故の結果がこれでは やはり被害者や遺族の方は納得し兼ねるでしょうね

事故後から様々な論説や憶測が出て 結局のところ原因としては何なのかがはっきりしないのですが 「(事故の)予測がつくかつかないか」「過失の有無」を裁判の焦点にしたことが そもそもの間違いだったのではないでしょうか?


”社長”という役職が負う”責任”とは 会社存続・発展に対する経営責任と同時に 異常事態を発生した(起こした)場合の道義的・社会的責任を有するものだと思います

今回の例でいうなら 事故を起こし被害者を生んでしまったということに対する責任があるはずです

勿論 金銭的補償などもされているかとは思いますが お金で解決できる責任(事故)のレベルを遥かに超えてしまっていると思います


今回の裁判で「無罪」という判決が出た以上 誰憚ることなく責任を回避されたような気になっても仕方ありません

第一 全ての責任を事故死した運転士一人に背負わせる結末になってしまったのではないでしょうか
(無論 速度超過を起こし 実際に事故を発生させてしまったのではありますが)


再発防止の観点から 速度制限やダイヤの見直し 新ATSの導入など物的改善はされているものの 過密勤務体制や懲罰事案の改善などという人的(精神的)改善が為されているのかがはっきりと分からない現状なので そこもしっかりと公表して欲しいですね

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